top of page
日本のインテリア

450年の歴史あるお寺です。

住職

杉浦 英雄

住職の杉浦 英雄です。 平成3年9月から先代昭雄に代わり、宝瑞院の住職に就任いたしました。 私は長く引きこもりに苦しんだので、どんなライフスタイルの方でも、普段着で気軽に仏教に出会えるお寺を作りたいです。お釈迦様は聞く人に応じて、8万4千もの法門を説いたと言われます。宝瑞院はどんな人にも、ほんの少しだけ幸せになって頂くヒントを、仏教から学び合える寺院でありたいです。 普段着で、お気軽にお声がけくださいませ。 一方で、グローバルに仏教が見直されている時代です。宗派を問わず「日本の仏教」の素晴らしさを、世界に発信する寺院でもありたい、と考えております。 宝瑞院には約450年の歴史があります。「この地球には宝瑞院があって良かった」、神栖市の皆様に、日本の皆様に、そして世界の皆様に、そんな言葉をかけていただけるお寺、これがこれから100年の、私のミッションです。 ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

アーバンブッディズム

お寺の沿革

昭和27年9月22日

宗教法人 宝瑞院が成立  杉浦憲雄(現住職英雄の祖父) 

初代代表役員に就任

昭和42年6月8日

前住職杉浦昭雄(現住職英雄の父)、代表役員に就任

由緒

由緒

由緒

由緒

宝瑞院の由緒

宝瑞院の歴史は、手元の資料では大正4年(1914年)頃までは遡れます。現住職・杉浦英雄の祖父・井上憲雄が、杉浦家の養子に入り、この宝瑞院を引き継ぎます。 祖父の憲雄は千葉県香取市の東光山宝樹院来迎寺で修業しました。その後一時、千葉県香取市の西福寺(現在は公民館が建つ)の住職となりますが、僅かな期間でこの宝瑞院に迎えられます。 来迎寺の開山・明恵高弁上人は華厳宗の名僧です。浄土宗の開祖・法然上人を「摧邪輪」「摧邪輪荘厳記」で厳しく批判した方でもあります。ただ法然上人の「易行」の教えには感銘を受けてもおりました。顕密諸宗のありうべき教えを再構築し、この宣教と普及に尽力されました。 杉浦家は宗祖・法然上人と並び開山・明恵上人にも、共に尊崇の念を持ったようです。令和の「風の時代」、顕密諸宗を再構成するという杉浦家の思いが、現住職・英雄に引き継がれております。

AdobeStock_289511546.jpeg

※画像はイメージです。

AdobeStock_163253461.jpeg

創建と歴史

宝瑞院の歴史

宝瑞院は浄土宗の名僧で徳川家康の信認も厚かったと伝えられる虎角(字は雲潮、号は穏蓮社安誉)により創建された、と「芝区誌」という地元の資料に記載があります。虎角大和尚が30歳代で創建されたとすると、約450年の歴史を持つお寺です。 当初は大本山増上寺等の塔頭寺院として江戸城内に創建され、江戸時代に城内の諸寺と共に虎ノ門に移転したようです。 1923年(大正12年)の関東大震災で本院の過去帳等の資料等は全て焼失してしまいます。宝瑞院は貧しい寺院で再建が叶わず、崩れた材木を集めて小屋を建設して、何とかこの信仰の場を継続したとの伝承が残っております。 そうした歴史を持つお寺だからこそ、私達は神栖市に移転した後も、「普段着のお寺」であり続けたいと考えております。

アクセス情報

紫雲山 宝瑞院

本堂建築地 

住所:〒314-0146 茨城県神栖市平泉2137-7  

アクセス情報(バスでお越しの方)

  • 鹿島神宮駅発→小見川駅行き 平泉上谷原下車 徒歩5分

本堂 旧住所:〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-8-14

bottom of page